ドクター日浅の“健康雑話” 其の五

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ドクター日浅の“健康雑話” 其の五

2022.06.15

海南病院のホームページを訪ねて下さりありがとうございます。

私が海南病院に勤務するようになって3年近く経ちます。月曜日の外来にはたくさんの方が受診して下さるようになり、医者冥利に尽きると感謝しています。

これからも海陽町民を始めとした南部地域の方々に少しでも健康面でお役に立てればと願っています。その一環として、日々の診療の中で経験したことや感じたことを雑談的に書いてみたいと思います。気楽に読んで戴ければ幸いです。

其の五  心臓専門医の急性心筋梗塞体験記(下)

 

 PCIが終わるとICU(集中治療室)に運ばれた。ベッド位置は最重症患者を観察する入り口近くのフロアであった。看護師から何か必要なものは無いかと聞かれた。外界からシャットアウトされ、ずっと電灯がつく環境で朝夕等の時刻認識が出来なくなることが恐いと思ったので、携帯電話は当然ダメだろうから、せめて時刻が分かる時計だけでもと答えた。時刻なら後ろ頭上の心電図や血圧、呼吸波形のモニター掲示板に表示されていますと教えられた。そこで初めて自分のバイタルサインが監視され、自分でもチェックできると分かった。ICUの患者なら当然なされていることにやっと気付いた。冷静なつもりでも緊張していると分かった。その後、血圧や心拍数を自分でも時折確認し状態が落ち着いていることを認識できた。
 赤十字病院に勤務していた頃、自分ならICUの環境下では絶対寝られないだろうと思っていた。その夜は救急車の来院やICU入室患者も少なく比較的落ち着いていたらしい。また、準夜帯に隣に急変患者さんが移ってきたが大声を上げるでもなく静かであった。熟睡とまではいかなくても比較的よく寝ることができ自分でも驚いた。翌朝、担当の看護師から「良く休まれていた様子で時に軽い睡眠時無呼吸もありましたよ」と教えられた。自分の状態をきちんと監視してくれていることに感謝した。朝、身体所見等のチェック後2人の看護者から身体の清拭を受けた。昨日入院して以来、生まれて初めて紙オムツと尿瓶(しびん)を使っていた。高齢者の私でも若い人にこうした姿を見せたり、世話になるのは少し抵抗があったが、羞恥心を感じさせない言葉かけや所作で行ってくれた。この頃になると結構な空腹感が出てきた。知り合いの看護師に「食事はいつから?」と尋ねた。
 昼前には6階北の一般病棟に移り、昼食も摂ることができた。夕方には携帯電話も届き外部と接触ができるようになった。昨日の発症から長い1日であったがやっとややこしい所から本来の場所に戻ってきたという実感が湧いた。翌日(第3病日)に小倉医師から病気の詳しい説明を受けた。私の冠動脈は3本の枝がバランスよく発達していること、そのうちの前面を走る左前下行枝の大きな側枝を出した後の中位部が閉塞していたこと、他の部は今詰まりそうな場所はないこと、心筋が壊れて血中に出てくる酵素(CPK)は800単位程度で少なかったこと、そして最も大事なのは心臓エコー検査で心筋梗塞の痕跡を示唆する心臓壁の局所的運動異常を認めず、収縮力(駆出率)も72%と正常範囲であったこと等である。同時に「もう退院してもいいですよ」とも云ってくれた。
 結局、赤十字病院には2泊3日(実質48時間)の滞在であった。自宅に帰ることも考えたが、身体的には問題なくとも精神的なリハビリが必要と考え碩心館病院に1週間くらいの予定で置いて戴くことにした。実際、転院した日の深夜には左肩甲骨に違和感を感じ、病棟の看護師さんに心電図をとってもらい異常のないことを確認したり、不整脈感があったり、微熱が数日続いたり心因的なものと思われる症状があってスタッフに支えて貰った。
 今回の急性心筋梗塞は非典型的な背景や症状から診断が少し遅れたが、冠動脈の閉塞から再疎通までの“真のゴールデンタイム”である3時間以内にギリギリ間に合った。このため心筋に及ぼした傷害はごく軽度ですんだ。治療に携わって下さった方々のご尽力のお陰と心から感謝している。今回の出来事は、神様の『健康に留意してもう少し患者さんのため働け』との思し召しと思い診療を続けている。

 

ドクター日浅の健康雑話 過去の記事はこちら

其の一 飲酒後コタツで一瞬気を失った 

其の二 お尻から太ももの後ろがしびれるので整形外科を受診した

其の三 心臓専門医の急性心筋梗塞体験記(上)

其の四 心臓専門医の急性心筋梗塞体験記(中)